「見えないもの」の物語―『東の妖怪・西のモンスター』刊行記念特集

 

特集について

 非実在の生き物を造形する営みは、洋の東西を問わず古くから行われ、日本においては妖怪、西洋においてはモンスターや妖精として語り継がれてきました。妖怪とは、モンスターとは、そしてそれぞれの文化で育まれてきた精神文化の差異と類似はいかなるものであるのか。
 本特集では、人間の想像力の普遍性と独自性を探る『東の妖怪・西のモンスター―想像力の文化比較』の刊行を記念して、日本と西洋で語られてきた「見えないもの」を、本書総論(1-43頁)から一部抜粋して紹介していきます。

 

 

東の怪異

 「妖怪  Yōkai」は、当初は人智では理解できない、説明のつかない不気味な様態を指した。正確を期すと、この語が日本に伝来してしばらくは、恐ろしいさま、事柄に用いていた。(……)“妖怪現象”である。かつて、気象異常や自然災害などの異変は、自然界の霊威の発動と見ていた。(2頁)

 

 やがて人間は、逃れるすべのない天災などを、山や海の霊的な物モノの発動と想念し、「妖怪」の 存在を意識した。“妖怪造形”である。その使用は中世後半に目立ってくる。(3頁)

 

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「大百足」(チェスター・ビーティ・ライブラリィ蔵『俵藤太絵巻』2006年、勉誠出版より)(本書7頁)

 

 そうした物としての妖怪の形成は、原始的な精霊信仰や物神崇拝(フェティシズム)に端を発している。自然界のあらゆるもの(人間も含む)は魂をもち、霊がより付くとしてきたのであり、とくに動物・植物の霊(精)が異形で発現すると観想した。自然物や動・植物が人間の姿を取って現われ、結婚するという異類婚姻(異類婚)説話にはその認識がはたらいている。蛇、鼠、猫、狐、狸、狢、猿、牛など、そして蜘蛛、百足、蟻、蜹、蟹、蛸などには、その特異な生態や形状に霊性を感じ取り、もしくは神使の性格を付与して変化を想念してきた。〈動物妖怪〉である。(6-7頁)

 

 ことはそれだけではなかった。祖先たちは唐傘や提灯といった道具、器物などにも、変化の摂理を当てはめてきた。劫を経る(長い年月を過ごす)と霊力が増して化けると感得していた。付喪神(「つくも神」)という。〈道具妖怪〉である。(8頁)

 

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「元禄十一年識語」(『百鬼夜行絵巻』徳田和夫蔵)(本書8-9頁)

 

 

西の驚異

 西洋では、古くギリシア神話に想像動物が語られている。禍々しく異形となって現れて、人間を恐怖に陥れてきた。幻獣であるのに、真実の存在のように脳裏に刻み込まれ、出現したら世を覆すと怖れたのである。(13頁)

 

 モンスターは、自然の凶暴さや人間の悪意の具象化である。それは異形に、また巨大に、もしくは蛇やトカゲのごとく不気味に造形された。とくに天変地異のそれは、大地(山・森・川沼)、海、大気などの偉大性やそれゆえの絶対性を表し、そこに霊性がうかがえる。(15頁)

 

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「海のモンスター」(徳田和夫蔵)(本書14頁)

 

 モンスターはまた、キリスト教の拡大にともなって悪魔が生みだしたとも、悪魔が姿を変えたものともされ、反キリストの象徴になった。(17頁)

 

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「ルキフェル」(『Monsters & Grotesques in Medieval Manuscripts』)(本書18頁)

 

 西の人びとはモンスターを想像し、かたどり、名づけ、その退治譚を多く創って楽しんできた。そこではいよいよ常識から逸脱して怪奇となる。あるいは不気味さを強調するあまり、かえって滑稽性も帯びるようになる。ルネサンスや近世の天井画、浮彫、柱頭、紋章にそうした美術装飾が定着する。いうところのグロテスクthe Grotesqueである。モンスター造形の営みは、人間の陰の心性史であり、また陽の表現史ともいえよう。(19頁)

 

 

妖怪とモンスター―比較物語学へ

 古くから今に、人びとは闇にひそむものは異形の姿で出現し、人間社会を乱すとした。精霊を意識し、尊重したゆえの観念である。だから一方で慈愛も感得した。こうした妖怪とモンスターを大きくひと括りにして表すならば、「鬼」Demons, Ogresが適当である。古今東西で人間は、邪悪なものを想定し、不気味さを様ざまに語り、いかにして逃れるかを説いてきたからである。天変地異や疫病、事故といった災厄を、闇の見えない存在がもたらすとしてきた。それはまた「魔」と 呼んでもいいだろう。

 そうした発想は、万物に精霊ありとして畏敬するところに始まった。人間は、精霊なるものに力を想定し、制御しえないとしてきた。妖怪やモンスターは、神と同じに超自然の存在である。神には慈悲を期待し、妖怪、モンスターには恐ろしさを付与したのである。(20頁)

 

 その上で、両者には個性がある。妖怪は、精霊の変成であると強く主張している。変化の理を体している。(……)付喪神はまさにこれであり、ヨーロッパにはほとんど聞かない。(20頁)

 

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「雲外鏡」(百器徒然袋〈天明四年〉)(『鳥山石燕 画図百鬼夜行』1992年、国書刊行会)(本書117頁)

 

 そして、妖怪とモンスターの異質性は宗教とそれに依拠した思想、自然観からも生じている。妖怪に付喪神が目だち、モンスターに混成獣(混合動物)が多いのは、そこにかかわる現象である。片や下駄の転生までも幻視している。片や毒蛇、蜥蜴から反キリストの怪物を妄想している。(21頁)

 

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「セイレーン」(Sea Monsters on Medieval and Renaissance Maps, 2013, British Library(大英図書館))(108頁)

 

 およそ人間は想像に生きてきた。妄想にうつつを抜かし、幻想に遊んでいる。その物語を創り、楽しんできた。東西は同じ道を歩んでいる。両者間の同質性(同類性、相似性、対応・共通性)や異質性は、形状(姿態)・性質(性状)・名称・ジェンダー・社会機能にわたって捉えていきたい。とくに重視すべきは、神話、叙事詩、民間説話の叙述である。これらの伝承物語は有効な情報をもっている。伝統的な様式に時代の思想・学芸、民意を映して成り立っており、特異な事態をテーマとし、また視覚表象の欲求により図像に結実しているからである。

 

 また、妖怪・妖精・モンスターは現代に生きている。ビジュアルな仕かけによるエンターテイメントの最たる素材であり、サブカルチャーを育て支えている。とくに、不思議な出来事を創造し現出させるファンタジー(ファンタジア)に欠かせない。ファンタジーは異界を重要なテーマとし、そこに立ちいった人間の苦難と幸福をものがたる。現実との境界を越えた主人公は、いうならば“幻想世界の住人”たちの手荒い歓迎を受けるのである。

 

 世界中の物語はそうした空想に支えられている。神話、語り物、民間伝承はそれを発現してきた。荒唐無稽とすましてはならない。祖たちは奇跡を真実としてきたのである。現代にアニメなどで繰り返される想像世界の物語は、神話学者ジョゼフ・キャンベルがいう「英雄の旅」そのままのかたちを取っている(『千の顔をもつ英雄』)。日本の中世後期の短編物語群、お伽草子(室町物語)におけるひとつのグループの英雄の異郷訪問譚や神仏の由来譚(=本地物)は、異界幻想・幻獣造形の文化営為の観点から解きほぐしてしかるべきである。(21-22頁)

 

 

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東の妖怪・西のモンスター 想像力の文化比較

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徳田和夫 編

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