勉誠通信35号(2012/12/17)

 

共通語は江戸言葉から

土屋信一(つちや・しんいち)


『江戸・東京語研究―共通語への道』の著者、土屋信一先生からご寄稿いただきました。

 日本語には各地の方言と共通語がある。東京語にも東京方言と東京共通語とがあることを知ったのは、岩波新書の柴田武著『日本の方言』(1958)を読んでからだった。ただ、同書の東京方言と東京共通語の実例が理解出来なかった。アシタ、アサッテ、シアサッテ、ヤノアサッテと続く体系が東京共通語で、アシタ、アサッテ、シアサッテ=ヤノアサッテと続く体系が東京方言だというのだ。この説明は一見分かったようで分からない。人は方言と共通語とを場面によって使い分けると言うがが、この場合、東京人は相手を見て、どうやって東京方言と東京共通語とを使い分けているのか? 私が「共通語」にはまり込んだのはこのときからだ。
 次に明治初期の演説速記を見ていて、明治十年代の自由民権運動の時代から、演説や講演は共通の口語体で話され、方言はあまり出て来ないことに気付いた。もう「共通語」は出来ていたのである。そうでなければ、幕末の西郷隆盛と勝海舟の品川での会談がすんなりまとまって、江戸城無血開城とはならなかっただろう。明治維新もスムーズには進まなかったに違いない。
 18世紀後半明和期の江戸の洒落本「遊子方言」は、新吉原に遊ぶ男どもを描いた戯作だが、ここに登場する「平(ひら)」という男の言葉は興味をそそる。語末はダとジャを併用するが、現代の東京共通語に通じるレルラレル敬語を使い、明治期の書生言葉「たまえ」を連発する。東京共通語のルーツのような言葉である。この洒落本の作者は、中野三敏氏の丁寧な考証によって、上方から江戸に進出した本屋丹波屋利兵衛であることが確かめられている。「平」は財力のある大名の江戸屋敷に住む上級武士のようだ。架空の人物であろうが、モデルがいそうな気もする。作者の上方語が混入していないかとの見方もあろうが、中野氏は否定する。丹波屋は当然周囲の者に見せて、直させているだろうと。
 江戸という都市は、17世紀に徳川氏によって諸国から人々が関東平野の地に強制的に集められて構築された都市である。身分差・職業差は著しかったものの、先に住む集団の強力な言語がなかったために、上方語を上品な言葉として取り入れて、階層を超えて通用する穏やかな会話語を形成して行った。「江戸言葉」の誕生である。この都市言語の成立過程は、社会言語学の中で今後検証されなければならない。
 また、文献調査によって、江戸の言語生活を明らかにする研究も必要である。以下は紀伊田辺藩御典医原田某が江戸を知らない同郷人のために和歌山と比較して記した「江戸自慢」(安政年間成立か)の一節である(未刊随筆百種による)。

一、人気の荒々しきニ似ず、道を問へば下賤の者たり共、己が業をやめ、教ること叮嚀にして、言葉のやさしく恭敬する事、感ずるニ堪たり、


一、大都会故ニ人の心ハ大様なるか、武士ハ慇懃ニして凝(こ)り気なく、旗本など殊外温和にして、若山武士の如く屎(くそ)力味なし、(『未刊随筆百種』八巻58ページ)



いわゆる「江戸っ子」の身びいきではなく、地方人から見ても不思議な、穏やかな言語空間が成立していたようだ。
 昨今「標準語」は国語施策の産物として人気がなく、地域方言の研究が盛んである。

  東京方言≒全国共通語≒「標準語」

という公式を示す人もある。これでは東京語の姿は見えない。共通語の位置づけを明確にして、その歴史を研究していく必要がある。そして「東京ことば」(東京共通語と東京方言)を研究し、磨いていくことは、現代日本語の話し言葉のためにも文章語のためにも重要な課題である。

詳細はこちらから

 江戸・東京語研究

江戸・東京語研究

土屋信一 著

定価13,125円(本体12,500円)

詳細今すぐ購入