『完全版 人間の運命』刊行の辞&推薦文

 

完全版『人間の運命』刊行の辞

勝呂 奏(桜美林大学)

フランス文学の精華に、大河小説を逸することはできない。よく知られたロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』全10巻、マルタン・デュ・ガールの『チボー家の人々』全8部11巻などである。日本の近代文学はヨーロッパ文学の影響を受けて発展したが、これらに追随できる作品を長く持つことはなかった。宿願ともいえるそれを果たしたのが、芹沢光治良の『人間の運命』全3部14巻である。
芹沢が『人間の運命』を書くに当たって、一切の注文原稿を断わり、日本では異例の書き下ろしによる出版を選んだことは、よく知られている。すでに30年に及ぶ作家としての経歴を持ち、数々の名作を国内外に問うていたが、芹沢文学の代名詞となる、言わば「生涯の作品」を企図していたのである。昭和37(1962)年に新潮社から第1巻を出版し、当初予定の全6巻を刊行し終えた時点で、作品の評判は巻を追うごとに高まり、昭和39(1964)年度の芸術選奨文部大臣賞を受賞した。
そして、読書界の続巻への切望に応えて第2部6巻、第3部2巻と書き継ぎ、昭和43(1968)年に6年余を経て完結し、日本芸術院賞を授与されることになった。芹沢の望みはこうして見事な結実を見たのである。
以後、芹沢は昭和47(1972)年に『遠ざかった明日』を『人間の運命』の続篇として書き下ろし、昭和49(1974)年からの『芹澤光治良作品集』全16巻にこれを収録するのに際し、第1巻に先立つ「海に鳴る碑」を書き下ろした。そして、昭和51(1976)年には『人間の運命』の本体だけを、新たに手を入れて新潮文庫から全7冊で、平成3(1991)年にはやはり全7冊セットの愛蔵版で刊行した。この作品がいかに歓迎されていたかを物語る出版歴だろう。しかし、芹沢には一つの不満が残っていた。それは全14巻で流布するものを、その後に刊行した『遠ざかった明日』と「海に鳴る碑」を併せ、全16巻として産み直したいという希望である。
昭和57(1982)年、妻の金江を亡くした芹沢は85歳になっていた。失意の中で自らの余命を数える思いもして、新たな創作へ気持ちの向かわない日々を、身辺の整理に向けるようになった。数多い自作の短篇や長篇の再読もその一つで、没後に全集が編まれる場合に残したい作品を選別したという。その中で特に拘ったのが、先の不満を解消したいという願いで、『人間の運命』を再読三読して手を入れることになったのである。
芹沢は作品の細部の字句の修正から、必要な加筆や削除を、全体に亘って入念に施している。こうして「生涯の作品」である『人間の運命』は全16巻として芹沢の手元で生まれ変わることになったが、生前も没後も出版されることなく、長く遺族の手元に残された。この度の完全版『人間の運命』は、その芹沢の強い遺志を汲んで、手沢の訂正本を底本として刊行するものである。平成25(2013)年は没後20年を迎え、これは遺族の抱き続けた宿望の実現でもある。

装いを新たにした完全版『人間の運命』の概要を記すと、芹沢自身を仮託した主人公の作家森次郎の半生を、日本の近代史を背景にして描くものである。作品の枠組みになる時間は、明治29(1896)年と考えられる日清戦争後の次郎の誕生から、昭和26(1951)年に次郎がスイスでの国際ペンクラブ大会に参加したヨーロッパ滞在までに設定されている。その間の次郎の半世紀あまりの人生の歩み、つまり様々な困難を克服しての成長、人間の幸福を真摯に考える作家の生き方が、『人間の運命』の中心である。そこには芹沢文学の主調である、明るく温かいユマニストの精神が横溢している。したがって、まず大河小説が特色とする教養小説的な性質を有していると言えるが、それだけでない多岐に亘る内容を盛り込んでいるところに特色がある。
芹沢は『人間の運命』について、そのモチーフを「私達の世代の生きた証言を後に来る人々に残したい」と書いたことがある。「私」でなく「私達」である点に眼を止めるなら、次郎の成長史であると同時に、それは世界と交渉を持って近代化を進める日本社会の歴史でもある。そこには田舎と都会の格差、宗教や思想、政治や文化、そして戦争の問題等々の重なり合うテーマを認められる。他に親と子、友情、愛と結婚の問題についてもある。これらの綾なすテーマを、芹沢は自ら経験したことの「証言」として、次郎とその周囲の人々の生き方に託し、日本社会の発展の過程の中に描き出したのである。大河小説という宏壮な器があってこそ可能な書き方で、作品第一の魅力はここにある。けれども、芹沢が個々の巻を、それぞれ独立した作品としても読めるように配慮していることを断わっておきたい。幾筋もの流れを一つに集めて流れるのが、大河の見せる偉容なのである。
このような完全版『人間の運命』が、すでに流布する全14巻で証明済みの文学的生命を、更に輝かせていることは言うまでもない。世界に誇り得る日本文学の至宝である大河小説『人間の運命』を、ここに芹沢の納得した形で新たに享受できることは、文学愛好者にとって無上の悦びだろう。なお、全16巻になった『人間の運命』を鑑賞するのに参考になる作品他を、別巻2にとして編集した。別巻1には関連作品『愛と知と悲しみと』を、別巻2には関連作品『岡野喜太郎伝』と『人間の運命』関連資料等を収録する。

 

推薦文

日本の代表的大河小説『人間の運命』
加賀乙彦(作家)
日本には短編の私小説は多いが、長編、それも大河を思わせる悠々たる筆致で、長い年月を自分と時代とをからめて丹念に、しかも作者の奥深い人生観を見つめて、読者を時代と思想の相克に誘うような作品は少ない。この『人間の運命』は、まさしく日本人が書いた最初の大河小説とも言える。私のおこなった概算では、作品全部が七千枚の長尺で、沼津の中学生時代から始まって、里山での田舎暮らしから、森次郎なる少年が育ちゆく姿が詳細な筆致で描かれる。信仰のために家の財産を献金してしまう両親との相克が痛ましい。大正十四年に次郎は、農商務省賞を二十八歳で退職して、フランス留学のために旅立つ。このあたりの物語は『巴里に死す』と類似しているが、長編であるがゆえに主人公の内面の苦悩が、時代との関係でより詳細に表現されていて、興味深い。ロシア革命がおこり、第一次大戦がドイツの敗北で終わる世相などが、その時代を生きていた人でないと描けない細密描写で再現されている。これは大正末期から始まって、日中戦争、紀元二千六百年の東京、右翼の台頭、米英との戦争、空襲、敗戦という時代に翻弄される、主人公次郎の苦悩する姿が見事に表現されている大河小説の傑作である。

 

一貫したモラリスト
大江健三郎(作家)
良識を体現する作家、ということが実際にありうるなら、芹沢氏はまさにそういう人だった。ところが氏の作品には、当の良識から恐しいほどはみだしてしまう人間の心理、生き方への強い関心もあった。良識の人と、なにか病的に異様な人との間で、危険なバランスをとることが、芹沢氏の小説の書き方だった。民衆信仰について深く理解しながら、理性の足場は決してはずさぬ人でもあった。このようなタイプの作家を、その後の日本の書き手のなかに見つけることは不可能ではないか? ヨーロッパの戦前、この国の戦争と戦後、そこを一貫してモラリストとして生きた独特な生涯が、ひとつの文学的典型を生んだのだ。

 

希望のうちに生きる能力
大岡 信(詩人)
芹沢さんの文学に射しこんでいる本質的に明かるい光は、私たち一人一人に本来与えられているところの、現実世界とぴったり重ね合わせになっている高次の精神世界を感じとる能力を、この作家が片時も曇らすことなく持ちつづけたことの、こよなき証しなのだというほかないだろう。この能力は、別の言い方をすれば、すなわち「希望のうちに生きる能力」と言いかえることができるものだ。それを芹沢さんは苦難の幼少年期以後、いつのまにかしっかりとつかみ取り、心の中心に据えて動じなかったのだと思う。苦難の経験を重ねたことが、究極的には大きな価値をもっていた。それは、芹沢光治良の作品の魅力の一つである、若い人に対してごく自然ににじみ出る人格的感化力とも、一体のものだった。このような作家は、現代文学の世界に類例を見出しがたい、残念ながら。

 

沼津市民必読の書
栗原裕康(沼津市長)
『人間の運命』には「沼津の町が地方都市として、案外に進歩的で明るく住みよいのは、又、主人公のような理想主義の青年が多いのは明治初年の沼津兵学校の先進的教育と後に麻布中学を創立した江原素六先生の徹底した民主教育の賜物なのだ。」という記述があります。
こうした沼津に育った芹沢光治良は、主人公次郎と同じく、市内我入道に生れ、旧制沼津中学校を卒業し、一高、帝大を経てパリに留学して国際派の近代作家となりました。
代表作『人間の運命』は日清・日露戦争から戦後の講和条約成立にいたる六十年の、生身の日本人の歴史書です。物語の舞台を故郷沼津に据えて、真摯な人々の生き様、激動する時代を、綿密かつ壮大に活写しています。それはまさに苦闘する近代日本人の運命を描いた、世界に誇るべき大河小説です。
発表当時には超ベストセラーとなりましたが、芹沢先生は最晩年にいたるまで構想を改め推敲を重ねられたそうです。
その新装完全版が没後二十年を機に刊行されることは、沼津市民として誠に喜ばしいことと思いますとともに、市民の必読書として大いに推奨いたします。

 

新鮮によみがえる大作の存在理由
菅野昭正(東京大学名誉教授)
1966年―68年、私はパリの東洋語学校(現パリ第三大学)で日本語・日本文学を教える仕事をしていた。教授陣の中心は森有正先生。毎週一度、授業のあと先生の高説を拝聴するのは楽しい時間だった。そんなある日、先生が芹澤光治良『巴里に死す』を話題にされたことがあった。先生が『巴里に死す』のフランス語版の翻訳者であることを、私はそのときはじめて知った。
いまも忘れられないのは、「芹澤さんは人間の精神の苦悩、苦痛を深く掘り下げた作家です」先生が感慨をこめてそう語られた一言である。「苦悩、苦痛を狭い個人的なものにとどめるのでなく、その経験から普遍的なものを汲み上げて小説にする、傑出した能力を備えた作家です……。」
あの敗戦直後、当時、話題の書だった『巴里に死す』をきっかけに「ブルジョワ」、「橋の手前」などから、多くの事を学んだ時期が私にはある。人生につきものの障害を前にして苦しんだり悩んだりしても、高邁な理想を精神の支えにして、自由に生きる意志を失うまいとするのが、そこに登場する人物たちの共通の特徴である。そして偏見に煩わされない自由主義、人間の善意を信じつづけるヒューマニズムが共存している。
このたび刊行される完全版『人間の運命』は、自伝を母胎にして生涯にわたって培った文学的思想を綜合した、大作中の大作である。低落とか衰頽と嘆かれ、混迷の渦中にある日本文学の現況を思うとき、人間の生存の意味を幅ひろく深く探求する、文学の本質に錨をおろした『人間の運命』のような作品の存在理由は、あらためて新鮮によみがえってくるのである。

 

人格者の文学
ドナルド・キーン(日本文学者・日本学者)
芹沢さんに初めてお会いしたのは、昭和32年の国際ペンクラブ大会の時でした。その時に壇上でなさった芹沢さんのお話は、非常に優しく温かな内容で大きな感銘を受けました。このような場合には、難しい大げさな話をされる方も多いのですが、芹沢さんのお話は「最高の挨拶」だったと記憶しています。
またある時、軽井沢にある芹沢さんの別荘を訪ねたことがありますが、一度お会いしただけの私を、全く親しい友達として歓迎して下さいました。
三回目にお会いしたのは、川端先生が自殺された時です。どうして亡くなったのか、いろいろな人がそれぞれの説を唱えていましたが、芹沢さんによると、「睡眠剤を飲んで眠れなかったので、ウイスキーも飲んだが、まだ眠れなかった。どうしても眠りたかったので、自殺するつもりではなくガスを吸った。そうして亡くなってしまわれた」ということでした。芹沢さんは川端先生と親しかったので、事実だろうと思います。しかし、たとえ間違っていたとしても、芹沢さんの優しさを物語るエピソードといえるのではないでしょうか?
今回刊行される『人間の運命』は芹沢さんの代表作であり、全3部14巻の作品が、生前の芹沢さんの意志に基づき、前編と後編を加え、全16巻(+別巻2巻)という新たなかたちで生まれ変わることは、大変喜ばしいニュースです。本書の刊行を推薦いたします。

 

人間を育て、幸福にする文学
渡部芳紀(中央大学名誉教授)
この度、勉誠出版から、芹沢光治良の自伝的大河小説『人間の運命』が全18巻の完全版として刊行される運びとなった。大いなる慶びである。
『人間の運命』は、明治・大正・昭和という壮大な時間の流れの中に、歴史的事実を背景にして、主人公・森次郎をはじめ、周辺の人々を通して、貧困、教育、友情、愛、出会いと別れ、信仰、戦争、再生、といった人生における根本的な問題が底深く描かれた、大河小説としての要素、魅力を十二分に備えた大作である。
ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』に勝るとも劣らない日本文学が誇る傑作である。
『人間の運命』は近代の歴史そのものであり、日本の知性、良心、真心である。人間を育て、幸福にする文学である。平和を求める強い意志、誠実な生き方、歯に衣着せぬ批判精神、繊細な感覚、それらが実にわかりやすい文章で書かれている。
私達はこの作品を読むことで、温かな気持と生きる勇気を吹き込まれるであろう。