広島・長崎原爆写真集―原爆投下70年

 

1945年の8月6日と9日に、広島と長崎に原子爆弾が投下されたことはよく知られています。
しかし、その惨状を撮影した写真をじっくりご覧になったことはあるでしょうか。
そこで何が起こったのか。現実をありのままに撮影した写真には、とても強い力があります。
原爆投下直後の広島と長崎を撮影した計800枚超の写真を見つめれば、政治的信条や諸外国に対する感情、歴史観の相違などを超えて、ひとりの人間として、誰の身にもこういうことを再び起こしてはならないと強く感じるはずです。
私たちにとって、戦争とはどういうことなのか、平和はどれほど大切なことなのか。
そういったことを考えるために、戦後70年のこの夏、本書をご覧になってみて下さい。


刊行のことば

この写真集に収められた広島417点、長崎412点の原爆写真は、1983年3月に日本のジャンルを超えた写真家、写真評論家など552人が呼びかけ人となり、発足した「反核・写真運動」が収集・保管している被爆直後の写真と、今回の写真集の編集作業中、新たに発見された写真を合わせた約950点から、時系列に編集・構成したものである。
今回の出版は、人類へ初めて原爆が投下されて70年という節目の年にふさわしい企画である。広島に投下された原爆の撮影は、爆発の約2分後から開始されている。写真集に収められている広島を撮った24人、長崎を撮った11人の写真家たちは、放射能障害が定かでない危険な時期、それも戦時中の極限状況下で撮影し、また戦後の米軍占領下では、記録したフィルムの保存に全力で努力をしてきた。
しかし、本写真集に収めた写真の撮影者の多くはすでに鬼籍に入られている。
私たちは、自らの生命の危機も顧みず、被爆直後の惨状と、その後の被爆者の苦しみの記録を撮り続けた先達たちの意思をしっかりと継承し、歴史の証として貴重な記録を後世へ伝えていく使命を果たさなければと、切に思っている。
小松健一(写真家・「反核・写真運動」運営委員 事務局長)



 

推薦のことば

このたび、勉誠出版株式会社から『決定版 広島原爆写真集』ならびに『決定版 長崎原爆写真集』が刊行されると伺い、大変嬉しくまた勇気付けられました。是非多くの皆さんに、被爆70周年の今年、この二冊を手に取って頂き、被爆の実相と被爆者の和解の哲学に触れて頂きたいと思っています。
私は半世紀以上前、高校生の時にアメリカに留学し、アメリカ人の原爆観が「パール・ハーバーが先だった」「原爆で戦争が早く終わった」「日米それぞれ25万、合計50万人の命が救われた」であることにショックを受け、被爆の実相と被爆者の哲学を世界に発信すべく努力をしてきました。言葉も大切ですし、特に英語で伝えることは今後も力を入れて行くべきですが、「百聞は一見に如かず」です。写真を通して、人間的な悲劇を理解して貰うことで、戦争と平和の真実に目覚める人を増やせればと思います。
もう一つのお願いは、皆さん御自身のために一冊、そして海外のどなたかのためにもう一冊購入して下さい。英語のキャプションもついていますので、海外の友人や識者にこの写真集を見て貰うことで、核兵器のない平和な世界の実現に一歩も二歩も近付けると信じています。
秋葉忠利(ヒロシマ・ピース・オフィス代表/前広島市長))

 

1945年夏、太平洋戦争での日本の敗色が明らかになっていた8月6日と9日、アメリカの爆撃機1機がそれぞれ広島と長崎に原子爆弾を投下した。ウラニウムとプルトニウムの原子核の連鎖的分裂で放出された膨大なエネルギーを人類は最初に兵器に利用した。
私は13歳の中学生として長崎の原爆に被爆し惨状を目撃した。原子雲の下で死者はもだえ苦しみ、負傷者は生き延びるために人の心を失い逃げ惑った。廃墟には死者が散乱し、傷者が放置された。このような惨劇はふたたび繰り返されてならない。この惨状は人類が生存する限り、記憶にとどめなければならないものだ。
しかし、惨状を目に焼き付ける記録はほとんどない。ここに70年前の広島、長崎原爆の写真の集大成が上梓される。これらは日本人必見、いや、人類必見の写真集である。この写真から想像力を振り絞って惨状を心に刻んでほしい。被爆者が語り、書き残した言葉、被爆者が描いた絵を重ねることができれば想像力はさらに豊かにしてくれるに違いない。
原爆は熱線と爆風に加え、目に見えない放射線を放出し遺伝情報を破壊し、残留した放射性物質から放射線も加わり、生き延びた被爆者を生涯、不安と後遺症で苦しめつづけた。この苦しみも写真の中からくみ取ってもらえるとありがたい。
田中熙巳(日本原水爆被害者団体協議会)

 

広島・長崎への原爆投下のニュースは疎開先の山形県米沢市で知った。当時12歳だった私は、たった1機のB29から投下された1発の爆弾により一瞬にして多くの人たちの命が奪われたことに愕然とし、もし東京大空襲と同等のB29が同じ爆弾を投下したらどうなるか? と子供心に恐怖を感じたことを今でも鮮明に覚えている。
かつて私は広島で被爆者、被爆2世を中心に取材した3冊の写真集(Return to Hiroshima 1970年、A Place Called Hiroshima 1985年、死の灰 2007年)を出版した。また原爆・水爆の恐怖をテーマに16mm実験映画「へそと原爆」(1960年)を制作し、原爆投下に対する怒りや抗議を表してきたのである。核兵器の使用は、亡くなった方は勿論、生き残った人たちの心や身体を放射能が蝕み、子の世代までも恐怖に陥れる20世紀最大の人災であると……
今年で広島・長崎への原爆投下から70年、世界で唯一の被爆国である日本人がこの惨劇を語らなくなるとしたら誰が後世に伝えていくのだろうか。この声を聞いた私たちの世代がこの恐怖と悲しみを語り継がなければならいであろう。この写真集の出版によって我々が直接このことを伝えていかなければならない。
細江英公(写真家)

 

本書収録の写真

決定版 広島原爆写真集』『決定版 長崎原爆写真集』で紹介している写真をいくつかご紹介します。

 


・爆心地から6500m。広島市の東北東約7kmの水分峡(みくまり峡)へ遊びにいっていて広島市上空にB29が1機、落下傘が浮いているのを見た。間発閃光、飛行機は猛スピードで逃げる。異様な色を放って雲の柱がたちのぼった。轟音と爆風がきた。2枚撮影で1枚目である。2枚目は雲が画面いっぱいに広がり、形がわからなかった=1945年8月6日、広島県安芸郡府中町水分峡から(撮影:山田精三)

 


・爆心地から南々東約2270mの御幸橋西詰。当時宇品警察署管内千田町巡査派出所前で急設された臨時治療所。建物疎開作業中被爆した広島女子商業学校・県立第一中学校生徒が多くいた。治療に当っているのは警察官2人。当時この派出所には永田巡査部長がいた。負傷者に糧抹廠からもってきた油を塗布して応急治療に当る=1945年8月6日、午前11時前、広島市千田町三丁目御幸橋西詰(撮影:松重美人)

 


・火傷、熱線によって、着物の模様の黒い部分が光を吸収して肌に焼きつく=1945年8月15日頃、広島市(撮影:陸軍船舶司令部写真部)

 


・頭髪が抜けた姉弟。被爆後2カ月後から頭髪が抜け始め弟は1949年死亡。姉は1965年に原爆後障害で死亡した=1945年10月上旬、広島市(撮影:菊池俊吉)

 


・広島県産業奨励館(原爆ドーム)から元安川に架かる相生橋を望む=1945年10月上旬(撮影:林重男)

 


・長崎市香焼島(現在の香焼町)にあった川南造船所から爆裂15分後に撮った。地上から原子雲を撮したものではもっとも早い=1945年8月9日(撮影: 松田弘道)

 


・長崎本線・道ノ尾駅にも大村海軍病院から救護隊が派遣された。治療の順番を待つ傷ついた母子=1945年8月10日、道ノ尾駅前(撮影:山端庸介)

 


・脱毛した少女。放射能による脱毛症状と見受けられる=1945年8月下旬、長崎市興善町・新興善国民学校特設救護病院(撮影:松本栄一)

 


・新興善国民学校から五島町方面を見る。長崎港には捕虜引き取りのため米艦船が停泊=1945年9月12日、長崎市(撮影:森末太郎)

 


・強烈な爆風で入口の柱およびアーチ部分に亀裂およびずれが見られる。左側の「悲しみの聖母像」および右側の「聖ヨハネ像」は熱線で黒く焦げ、台座からずれている。入口付近には崩壊した上部の壁などが堆積している。奥に見えるのは、北壁の一部=1945年10月中旬、長崎市浦上天主堂南側入り口(撮影:林重男)

 


このほか2タイトルで合計約800枚の写真を掲載しています。

 

写真展・パネル展情報

★7月23日(木)から26日(日)まで、文京シビックセンターにて写真展を開催しました。 約70点の写真を展示し、NHK首都圏ニュース、中日新聞一面、東京新聞などに大きく取り上げられました。鳩山由紀夫元首相、アイドルグループ・制服向上委員会のメンバーなど、2500名以上の方にご来場いただきました。



★7月20日(月)より8月31日(月)まで、東京堂書店・神田神保町店様にて、『決定版 広島原爆写真集』『決定版 長崎原爆写真集』東京堂書店神田神保町店にてパネル展示を開催中です。
大型パネルで約50点の写真を展示しています。

日時◆2015年7月20日(月)~8月31日(月)
於◆東京堂書店・神田神保町店(左奥の階段)
住所◆東京都千代田区神田神保町1-17
お問い合わせ=03-3291-5181
営業時間◆平日:10:00~21:00、休日・祭日:10:00~20:00

 

Introduction

This summer will mark 70 years since the end of the war, and the Atomic Bomb Photo Collection collected by the ” Anti-nuclear/Photographers’ Movement of Japan ” (which attempts to make atomic bomb photos in Hiroshima and Nagasaki available to future generations) has finally seen the light of day.
30 years ago, 6×9 duplicate negatives were created from the original atomic bomb photos that were collected. 10 years ago, high resolution digital copies of the photos were created, and the negatives and data were stored in a safety deposit box in a bank.
The political situation surrounding nuclear weapons across the world is complicated. During the cold war era, the United States and Soviet Union repeatedly conducted nuclear weapon testing at Bikini Atoll and Kazakhstan. Today, in addition to the five major nuclear powers (the United States, Russia [former Soviet Union], England, France, and China), India, Pakistan, and North Korea have revealed that they are in possession of nuclear weapons. Israel and Iran have made no official announcements, but they are recognized as being nuclear powers.
On March 5, 1970 the United Nations put the Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons (NPT) into effect. 191 nations and regions signed the treaty. Japan ratified this in June 1976. India, Pakistan, Israel, and South Sudan did not sign the treaty.
However nuclear disarmament is making little progress. A month-long discussion was held at the 2015 NPT Review Conference held in April and May at the UN Headquarters in New York. However, participants failed to draft a consensus document due to the egos of the major powers. UN Secretary-General Ban Ki-moon expressed disappointment that they were unable to arrive at an agreement on a final document showing a “substantive outcome” required for global nuclear disarmament.
On June 1 of this year, the Research Center for Nuclear Weapons Abolition, Nagasaki University (RECNA) announced that there are an estimated 15,700 nuclear warheads throughout the world. Russia has the most bombs at 7,500, followed by the United States at 7,200. Together, the two nations account for more than 90% of world’s nuclear arsenal.
The NPT also stipulates the peaceful use of nuclear energy. In addition to establishing the “inalienable rights” of signatory nations, the treaty stipulates that non-nuclear-weapon states must accept the safeguards of the International Atomic Energy Agency (IAEA), in order to prevent the application of nuclear power to military technology. However, although nuclear power has been deemed “safe” it suffers from an unexpected defect. Accidents on Three Mile Island in the United States and Chernobyl in the Soviet Union have caused immeasurable nuclear contamination to ecological systems and environments, and those who were exposed to radiation continue to suffer in the aftermath.
The TEPCO Fukushima Daiichi Nuclear Power Station was damaged during the Great East Japan Earthquake on March 11, 2011. Centering on Fukushima, radioactive material was released and contaminated water is still being discharged from the site.

Since its founding, the ” Anti-nuclear/Photographers’ Movement of Japan ” has collected 624 photographs from 19 photographers. The group has also added 30 photos taken from Mr. Teiji Nihei (who accompanied the Atomic Bomb Casualty Study Special Committee of the Scientific Research Council of the Ministry of Education as an assistant), 26 photos taken by Mr. Taro Morisue of the Mitsubishi Heavy Industries Nagasaki Shipyard, and 17 photos taken by Mr. Torahiko Ogawa at the request of Nagasaki prefecture. In addition to 120 photos taken by Professor Masaichi Majima, Assistant Professors Yoshio Suga and Toshimasa Tsutsui, and assistant Ikuzo Kagami, 27 photos taken by Mr. Satsuo Nakata of Domei Tsushin were discovered in the Hiroshima Peace Memorial Museum as this volume was being edited. Approximately 100 new photos were also provided by Mr. Shogo Yamahata, son of Mr. Yosuke Yamahata, who photographed Nagasaki. Overall, this volume contains a total of 830 photos of Hiroshima and Nagasaki.
In 1995, on the 50th year since the atomic bombs were dropped, the “Nuclear Fear: 1945-1995″ exhibit was held at Konica Plaza in Tokyo. In addition to photos “immediately after the explosion” (included in this volume), the Exhibit featured photos from 30 photographers, including those taken “after the explosion” by Ken Domon, Shigeru Tamura, Kikujiro Fukushima, Akira Tanno, Shigeichi Nagano, Shomei Tomatsu, Eiko Hosoe, Ittetu Morishita, Yoshino Oishi, Kenichi Komatsu, and others; and those taken by those who covered nuclear contaminated zones around the world (such as the Bikini Atoll, Russia, and Nevada) including Kosei Shimada, Hiromatsu Toyosaki, Ryuichi Hirokawa, Seiichi Motohashi, Takashi Morizumi, and Kenichi Shindo. The exhibit generated an enthusiastic response.

The photographs contained in the Hiroshima and Nagasaki atomic bomb photo collections are records and testimonies of those who witnessed firsthand the indescribable devastation caused by the atomic bombs, as observed by the members of the Anti-nuclear/Photographers’ Movement of Japan.
We hope that future generations will inherit this precious legacy, and that all of humankind will enjoy world peace without nuclear weapons as soon as possible.

June 2015
” Anti-nuclear/Photographers’ Movement of Japan ” Steering Committee

 

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決定版 広島原爆写真集

決定版 広島原爆写真集録

「反核・写真運動」 監修/小松健一・新藤健一 編

定価2,700円(本体2,500円)

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決定版 長崎原爆写真集

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「反核・写真運動」 監修/小松健一・新藤健一 編

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決定版 東京空襲写真集

決定版 東京空襲写真集 アメリカ軍の無差別爆撃による被害記録

早乙女勝元 監修/東京大空襲・戦災資料センター 編

定価12,960円(本体12,000円)

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