古今東西の知を捉える―「平川祐弘決定版著作集」全34巻刊行記念

 

日本は外来文明の強烈な影響下に発展しました。
「西欧の衝撃と日本」という文化と文化の出会いの問題を西からも東からも複眼で眺め、鷗外・漱石・諭吉・八雲などについて驚嘆すべき成果を上げた平川祐弘氏。
複数の言語をマスターし世界の諸文化を学んだ平川氏の学術成果を、全34巻にまとめた著作集が刊行開始となります。

 

刊行の言葉

「私は平川先生の『神曲』講義に出た」「駒場時代に『和魂洋才の系譜』を買った」。実社会で要職をつとめあげ、定年を迎えた人が、旧師のクラスに回帰してくる。そんな私は85歳、荻窪のカルチャー教室で『源氏物語』をウェイリー英訳と照らし合わせて講読し老若男女と議論している。先日は「お嫁入り道具に『小泉八雲』を入れました」と古風なご挨拶をされて驚き「今は娘がそれぞ読んでおります」と聞かされるに及んで胸が熱くなる。平川祐弘の文章には永続する価値があるというのか。
私は授業でテクストを読む演練を重ね、学術的に正確だが一般読者にも専門家にもわかるよう論文を作品に仕立てた。その苦心が酬われて大学紀要に出た論文が次々と文芸誌に載り、しかも売れた。いざとなれば筆一本で暮らせると思い、若い頃から遠慮せず、学内外で反体勢の発言もした。外国でも「ヒラカワの英語講演は日本人離れしている。明断で銭がとれる」といわれた。するとなんと著作集が出るという。読み返すと、半世紀前の万年助手のころの文章の新しさに我ながら驚く。皆さまも未読の書物がおありだろう。読まれた際は感想をお伝えいただければ有難い。

平川祐弘

 

本書の特色

1.比較文化史研究の第一人者である平川祐弘氏の厖大な著作から選りすぐった後世に残すべき名著を復刊。全体的な加筆・修正を加え、決定版となっている。
2.各巻末に著者自身による書き下ろしの解説ないしは回想を付した。
3.各巻末に本著作集のために書き下ろした諸家の新たな解説を付すか、当時の書評や雑誌・新聞記事等を転載した。
4.主な研究対象である鷗外・漱石・ハーン・竹山道雄・ダンテ・ウェイリー・ リッチ等については関連巻の総合索引を付し、研究の一助としている。

 

推薦のことば

本著作集の刊行にあたり、推薦文をいただきました。

ルネサンス的学者の登場
芳賀徹(東京大学名誉教授・静岡県立美術館館長)

詩情豊かな文人平川祐弘は、戦後日本が生んだルネサンス的学者である。
比較文学比較文化専攻と名乗る以上、視野を東西両洋にひろげ、知的機動性をもたねばならない。純文学や思想史、美術史、外交、軍事の歴史も踏みこんで、自由に最大限に探りつづける。それでこそ研究は深くなり、密になり、確実になり、成果はさらに豊かになる。敗戦後、東大駒場に創設された大学院比較研究課程では「広くてこそ深くなる」が一つの新しい信条としてはぐくまれつつあった。そこでは何をどのように論じようと自由であり、学界や論壇のタブーを破るのはむしろ快事であった。エクスプリカシオン・ド・テクスト(原点俯分け)という実証上の第一の規律(デイシプリン)にして唯一の方法をしっかりと守っていさえすれば―。
この初期駒場学派の学生でいち早く目覚ましい成果を挙げたのが、仏独伊への長い留学から帰国した平川祐弘だった。文芸復興期フランスの詩人や芸術家たちの愉悦を論じたと思うと、次は鷗外、漱石、ハーンを真向から取りあげた。近代の西洋とその衝撃の下に変貌するアジアを二本足で踏まえ、両文明を親密に体験し、緻密に研究し、両者の運命を観察し続けた偉大な文人として彼らを平川は論じた。こうして彼らははじめて世界の読者の前にその知と情の深さを見せた。
平川は知的巨人、一種のウオモ・ウニヴェルサーレである。複数言語を習得し、颯爽として往くとして可ならざるなしの趣きをもつ。明朝末期の北京で死んだ利瑪竇ことマッテオ・リッチのルネサンス的知的冒険者としての足跡を伊漢両語の文献で丹念にたどるかと思うと、興味津々たる私註付きでダンテ『神曲』、ボッカッチョ『デカメロン』、マンゾーニ『いいなづけ』などの古典を明快な現代日本語に訳出する。福沢諭吉とフランクリンを比べ、そこに昭憲皇太后も登場させる。旅順攻撃の将軍乃木希典の人柄を軍医森鷗外との交流から感動的に語る。大正の駐日フランス大使クローデルによる神の国日本の天皇の論を解釈した貴重な一篇もある。近年は『源氏物語』を二十世紀ヨーロッパ文学の中によみがえらせたウェイリーを論じ、この英国文人の訳と照らし合わせていまも市民有志と読みつづけている。だが東西の古典におよぶ人文学humanitiesの教育ほど、今の若い学生たちにとって必要なものはないのではないか。
すがすがしい木立に囲まれ、噴泉の音の低くひびく平川広場の椅子に座って、30余冊の著作集の1冊を手してみよう。思いもかけぬ文章の活力に魅せられて読み耽けるうちに、私たちはおのずと元気になり、心が豊かになっているのを感じるだろう。そうしたら、ゆっくりと立ち上って、なつかしい世界の人々のもとに、奥ゆき深い歴史のなかへと、再び歩みだして行こうではないか。

 

政治外交に携わる人も読むべし
五百旗頭真(政治学者・歴史学者・神戸大学名誉教授)

「平川氏が論じる鷗外は『二本足』の人だった。鷗外は自分自身の文化の中にすこやかに根ざしていたから、西洋に憧れて卑屈になることもなく、また西洋の重要性やその価値をむげに斥けることもしなかった。」これは名著『和魂洋才の系譜』に対するプリンストン大学のジャンセン教授の適格な評である。圧倒的優勢を誇る西洋文明に対して、排外的日本主義に狂したり、盲目的西洋崇拝に溺れたりすることは、心理的にはむしろ易しいことであろう。……「人としての品位」と「二つの文明の接触」という両軸によって織りなされている平川氏の豊かな比較文化研究のなかで、……(東西の)双方向からの高品質の異文化理解者の交錯が、錦糸のように日本近代史のなかに織り込まれている。その様相を甦らせることが氏の他の追随を許さぬ業績であるが、その幅広い視野と深層を読み解く能力は、政治外交の分野にまで及んできた。平川氏の比較文化史の観点から展開された研究が、政治史や国際関係の研究のなかにどう位置づけるのかが問われてもいるであろう。
平川氏が好んで描くのは、(国際関係の)激烈な状況との苦闘のなかで、状況を越える人としての高雅さを示しえた群像で……文学者や思想家だけではなく、国家の実事を担当する政治責任者たる軍人や外交官を主人公にしている点に特徴があろう。状況の泥沼に勝利しえたか敗北したかはともかくとして、苦難の状況のなかで人として偉大さや香ぐわしさを顕現しえた個性である。

 

国文学徒、読むべし
今西祐一郎(国文学研究資料館長)

政治、経済だけでなく、およそ縁の薄かった国文学研究にも「グローバル」が要求されるご時世である。他方、日々生産される研究者の論文が、あまりにも専門化、細分化された事柄で占められている現状も指摘されて久しい。
「グローバル」か「細分化された専門」か。しかし、これは二者択一の課題ではない。みずからの非才を棚に上げて言うしかないが、「グローバル」にして「繊細な専門性」を兼ね備えることが求められるのである。私も含め、今の学徒にそんな芸が出来るのだろうか。それは難しい。しかし、手本はある。それが平川祐弘氏の膨大な著作である。
なかでも『アーサー・ウェイリー 『源氏物語』の翻訳者』。ウェイリーの英訳を足場に、平川氏の詩人的感性に裏打ちされた『源氏物語』研究は、長らく本居宣長止まりであったこの物語の見方に、新次元を切り拓いた。国文学徒、読むべし。

 

霊の人
今泉宜子(明治神宮国際神道文化研究所主任研究員)

本著作集は稀代の比較研究者による「霊の日本論」集でもあり、その厳しくも美しい高潔な精神が全巻に満ち満ちている。
恩師・平川祐弘先生は、日本理解の大切な手がかりとして「霊の世界」を認めたハーンを論じ、彼を魅了したghostly Japanを、「霊に満ち満ちた日本」という精妙かつふくよかな言葉で表現した。私には先生こそ、内と外から日本を見つめ、その精神世界の中心を問い続ける「霊の人」に感じられる。その導きの随に、『源氏物語』の物の怪から、日本文学の尽きざる源泉として霊の存在があると知り、夢幻能に登場する死者の霊によって、ダンテが見た『神曲』の夢まぼろしへ導かれ、さらには竹山道雄が語る神道の造詣美学に関心を寄せることにもなった。
翻って宗教を論じる己を省み、次のように語る先生の潔さに真実を感じる。「私は畏敬の念の奴隷となった人の狂信を愚かしく思うが、それと同時になにものにも畏敬の念を持ち得ない人の猜疑心も愚かしく思う。過度の猜疑心は軽信の一形式にしか過ぎない」。

 

文科系の深い共感 理科系の鋭い分析
伊東俊太郎(東京大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授、麗澤大学名誉教授)

このたび、平川祐弘氏の著作集が出版されることになり、まことに慶ばしい。これには訳業や欧文著作は含まれていないにも拘らず、全34巻に及ぶという、なんという多産な活動の成果であることか。筆者は東大駒場の同僚として著者と親しくお付き合いさせていただいた。これらの書物を読むたびに、研究対象に対する氏の文科系の深い共感と、理科系の距離を保った鋭い分析が、ほどよく調和融合していて、つねに読むことが楽しく、啓発されるところ多大であった。
氏の博学多才は、古今東西の文化思想の交流を、独自な複眼で洞察し解明するという見事なもので、従来の一国内研究を超え出た比較文学・文化の未曽有の貢献である。
この意味で、我々の世代を代表する英才の半世紀に亘る業績が、新たにまとめられて世に出ることは、読書人にとってまことに朗報である。

 

学術作品にして文芸作品
坂本忠雄(元「新潮」編集長)

私が平川祐弘さんの著作に初めて接したのは『和魂洋才の系譜』だった。文芸雑誌の型にはまらない脱皮をいつも心がけていた私は、概念に片寄らない、清新な文章にたちまち魅せられ、寄稿をお願いした。それが『クレイグ先生と藤野先生』で、漱石と魯迅という非凡な作家の外国体験が捉えられていて、私の期待は満たされた。
今度出る著作集の最初の10巻余は、『新潮』掲載の主要作品で大半が占められているのも、私は有難く思っている。そして今私に印象深く蘇ってくるのは『一異端児の霊の世界―来日以前と以後のラフカディオ・ハーン』(昭和五十五年月号)である。これは日本とはどんな国かを、数々の怪談を通じて書き残したハーンの霊魂の世界を描いた異色作で、同じ号に『「本居宣長」補記(三)』も載り、小林秀雄さんから「あれは面白い」と言われて、私は嬉しかった。「『物識り』の陰に隠れされて、古い『伝説のこころ』は見えなくなって了った」と書く小林さんには通底するものがあったのだろう。最新作の『日本人の神道観』の附録『夢幻能さくら』が、永年の比較文学の研鑽を踏まえて、独創的で純然たる能楽として上演されたのも当然の帰結と、私には思われる。

 

明晰な頭脳、破天荒な知的冒険
稲賀繁美(国際日本文化研究センター副所長・総合研究大学教授)

読後何十年たっても、ふとその一節が鮮やかに蘇る。平川祐弘氏の著書には、そうした霊力が潜む。博覧強記というが、この著者は、手抜きのない博捜に、抜群の記憶力を駆使して材料を仕込み、それを平易・簡明な行文のうちに組み立てて、間然とするところがない。福澤諭吉や森鷗外に範を仰ぐ「洋行世代」を自任するこの「絶滅危惧種」は、紫式部やダンテの声に耳傾ける「英才」でもある。この「教養学士」はまた、反体制ならぬ反大勢を自称し、「出る杭を打つな」と主張する異端児振りも発揮する。時に論争も辞さぬが、筆禍が弁論誅殺を招かぬ今の日本に生きて「まあよかった」と(夏目漱石の顰に倣い)公言して憚らない。「窮達を以て節を更ふ可からず」を格言とし、国際文化関係論喫緊の話題を、英・仏・独・伊ほかの外国語も駆使し、臆せず海外展開する。だが北米で磨いた毒舌や、毀誉褒貶を招く正論の裏には、高雅なる人間性への透徹した観察があり、香しい個性への詩的な讃仰が萌している。巻を置く能わざるその筆運びに堪能しつつ、常識を覆す議論に首肯し、あるいは卒倒する―。「未知との遭遇」となる若い読者にとっても、それは稀有なる知性への扉、学問の醍醐味への誘いとなることだろう。

 

平川教授のエノーマス・スカラーシップ
ベン=アミ・シロニー(エルサレム、ヘブライ大学名誉教授・イスラエル)

『平川祐弘著作集』刊行という勉誠出版の企画は是非ともご推薦申しあげたい。日本と西洋という興味深い関係を、平川氏ほど見事に分析してみせた学者は今の世界にほかにない。文学史の面でも精神史の面でもそうである。過去150年に及ぶ日本と西洋の愛憎関係を平川教授は同時代の人と作品を通してものの見事に説き明かした。氏は西から東へ、東から西へと文明と文明の境界を越境したラフカディオ・ハーンのような人たちの文学・思想に特別の関心を寄せてきたが、実は平川教授自身が東西二大文明を結ぶ細い線の上に立つ人である。
平川氏は日本語・英語・フランス語の著書で、日本ならびに西洋の読者に向けて、広く語りかけてきた。氏はこれらのいずれの言葉においても自由自在である。このような多元的な能力を一身に蔵する学者は日本にはきわめて珍しい。日本読者には驚異であろう。しかしいまの日本はグローバル化に向かいつつあり、それだけに氏の著作はいよいよ時代の要求に応ずるものとなっている。日本の出版社は外国に向けても発信する義務がある。願わくば勉誠出版がその先鞭をつけ、平川教授の日本語著述だけでなく英仏伊語の著述も出版していただきたいものである。

 

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