異郷からのまなざし―『少年写真家の見た明治日本』刊行記念特集

 

特集について

 明治2年、オーストリアで写真技術を学んだ若干16歳の少年が、海を越えはるばる日本へやってきました。少年の名は、ミヒャエル・モーザー。7年にわたる滞在で明治初期の日本を数多く写真に収め、書簡やエッセイを通して自身の見聞きした日本の姿をヨーロッパに知らしめました。

 本書『少年写真家の見た明治日本―ミヒャエル・モーザー日本滞在記』では、モーザー自身が書いた日記や書簡、エッセイ等を日本語訳し、彼の撮影した写真とともに掲載しています。ここでは、そのうちの一部を、本文の引用とともに紹介します。異郷の少年写真家が見た150年前の日本をぜひ感じてください。

 

刊行によせて

 オーストリア=ハンガリー帝国は、地中海に面したトリエステ(現在は、イタリア)に重要な貿易港を有していて、早くから海外に市場を開拓する機運に満ちていました。すでに1850年代には日本と通商条約を締結する計画が立てられ、著名な日本研究者であるフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトもこの計画を支持していました。しかしながら、ヨーロッパで様々な問題が持ち上がり、東アジア遠征の計画は他国に遅れをとって、1868年にようやく決行されることとなりました。

 本書は、その遠征隊に随行して来日した写真家ミヒャエル・モーザーの記録です。 16歳の少年の記録の筆致は極めて独特です。文法は滅茶苦茶で、現在の辞書には収録されていないような方言・言葉が多用されていて、造語まで頻出します。美しい筆致で綴られた外交官等の記録に慣れ親しんでいた私たちにとって、この少年の筆致を理解することは新しい挑戦となりました。それでも多くの方に紹介したいと考えた理由は、歴史研究における情報の価値だけでなく、ミヒャエルの視点の面白さにあります。ちょんまげを「5インチの長さの小綺麗 にまとめたソーセージ」、ふんどしを「3本の指の幅しかないような布」と形容し、堅い枕で寝ることは「命がけ」だと言います。読み物としての魅力に溢れているのです。できる限り読みやすい日本語に訳しましたので、ぜひ、ミヒャエルと同年代の若い世代の方にも読んで頂き、「経験する」という意味で使われるドイツ語の言葉「erfahren 」の原義(「旅をする、乗り物で移動する、辿り着く」)の奥深さを知って頂けたらと思います。

宮田奈奈、ペーター・パンツァー

 

ミヒャエル・モーザーとは…

 Michael Moser, 1853-1912 写真家のヴィルヘルム・ブルガーの助手としてオーストリア=ハンガリー帝国の東アジア遠征隊に同行し、1869(明治2)年に来日。

 わずか16才で、遠征隊帰国後も、ひとり横浜に残ることを決意。その後、英字新聞『ファー・イースト』の写真撮影を担当し、ウィーン万博の通訳を務めていた時期を除いて、76年までの7年余りを日本で過ごした。

 彼の躍動感のある文章は、「変化の時代」を生きる市井の人々の姿を的確に示しており、彼の撮影した写真とともに明治時代の日本を知るうえで非常に貴重な資料である。

ミヒャエル・モーザー

 

モーザーが用いた写真技術……

 明治初期の写真撮影は今と大きく異なり、ガラスの板に自分で調合した薬剤を施して感光させ、即座に暗室で定着のための処理を行う必要があった。

 そのため、野外へ撮影に出かけるときには、大きなカメラに三脚、準備を施したガラス板に携帯暗室を持参しなければならなかった。当時、写真1点を撮影するには、約1キロの機材が必要になったという記録がある。つまり、撮影旅行で100点の撮影が予定されていた場合には、約100キロの機材や薬品が必要であった。

 しかし、この方法で作成されたガラスネガからは、今も驚くほど高精細な画像をプリントすることができる。本書ならびに本展示で紹介する明治初期の美しい写真は、いずれもこの方法で撮影された作品である。

○郊外での撮影旅行 

撮影風景

「日本での旅は、通常、徒歩で行く。移動手段が発達していないのである。大抵は、徒歩や籠で移動し、時折、蹄鉄を打たず、蹄を稲藁で包んでいる馬に乗って移動した。(……)機材の運搬は、肩に水平に背負った竹の棒で行った。同じ重さで釣り合いを取れるように、両端にそれぞれ荷物を吊り下げた。日本人はこの方法で重い荷物を最も簡単に運んだ。」――エッセイ「ミヒャエル・モーザーが日本で経験したこと、冒険」(本書300頁)

 

モーザーの写真と初期明治日本

○「江戸」(愛宕山からの眺望)

江戸

「日の昇る国の住人である日本人の快い国民性の一つは、自然美に対するみずみずしい感受性にある。日本の首都である東京の近郊に数多くある観光地には、大抵、茶屋、あるいは竹で建てられた簡易な小屋が見られる。天気の良い日には、そうした場所でお年寄りから若者まで皆、風光明媚な景色を眺めて楽しんでいる。郊外に建つ家の大半は、手入れの行き届いた庭に囲まれるように建っている。」――エッセイ「東京の花まつり」(本書289頁)

○「江戸の少女」(宮ノ下、箱根)

江戸の少女

「茶屋〔旅籠〕の人々は、どの点を取っても親切で愛想が良かった。私が快適に滞在できるようにと、なんでも用意してくれた。美しく赤い頬、真っ白な歯、深紅色に塗った唇をした、絵に描いたような美貌の可愛らしい娘が特に親切にしてくれた(……)
「コタケ」〔小竹〕という少女は、初めて写真を撮ってもらった様子であった。ガラス板に生き写しの自分を見て、とても喜んでいた。横浜に戻り、早速写真を送ると、彼女は3メートル以上の長さの懇切丁寧な礼状を送ってきた。その礼状には、あれやこれやとお世辞が並べられていた。」(本書308頁)

○「東海道」

東海道

「この海岸に平行する道〔東海道〕では、そこを移動する旅行者が興味深い景観をもたらしている。(日本で一番標高の高い)聖なる山の富士山や他の巡礼地から戻ってきた巡礼者〔お遍路さん〕によく出会う。彼らは風変わりな格好をしている。多くは絵や旗を携え、背中に茶や米などの蓄え、調理器具などを入れた箱を背負っている。彼らは、簡素な白い巡礼装束を身につけ、ぴったりとしたズボンを穿き、椰子の葉でできている平らで、とても大きな日よけ・雨よけの笠〔菅笠〕をかぶっていた。」――エッセイ「ミヒャエル・モーザーが日本で経験したこと、冒険」(本書303頁)

 

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少年写真家の見た明治日本

少年写真家の見た明治日本 ミヒャエル・モーザー日本滞在記

宮田奈奈/ペーター・パンツァー 編

定価7,020円(本体6,500円)

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