
特殊文庫とは何か
特殊文庫(トクシュブンコ)――この甘美な響きを耳にしたことがある方はそう多くはないかもしれません。最新の『広辞苑』第7版にも立項はありません。しかし、実は、日本にはこの「特殊文庫」なる機関が各所に存在しているのです。
このたび、東京・神奈川に所在する5つの特殊文庫が手を携え、「特殊文庫の古典籍―知の宝庫をめぐり珠玉の名品と出会う」という画期的な連携展示が行われることとなりました(https://www.gotoh-museum.or.jp/classic.html)。
『書物学』第16巻では、この連携展示とタイアップして、日本における書物蒐集の歴史において、また、書物を軸とした学問の形成において、欠くことの出来ない大きな存在である「特殊文庫」の魅力を、実地に深くかかわってきた方々によって伝えていただきます。
巻頭には今年創立七十周年の記念の年を迎える大東急記念文庫の村木敬子先生より、「特殊文庫」、そして、この連携展示開催のきっかけともなった「特殊文庫連絡協議会」の営みを伝える序言を頂戴しました。本特集では、特殊文庫の世界への誘いとなるこの文章、そして、今回連携展示を開催する大東急記念文庫・東洋文庫・斯道文庫・金沢文庫・静嘉堂文庫という5つの特殊文庫について、本文からの抜粋を交えご紹介させていただきます。
なお、展示の期間中、各文庫では蔵書印を模したスタンプを捺すことができます!『書物学』第16巻の巻末には印譜となるページも用意いたしましたので、ぜひご利用いただければ幸いです。
(斯道文庫の展示は既に会期を終えてしまっておりますが、大東急記念文庫(五島美術館)の会場にて、スタンプを捺印することが出来ます。)
手をつなぐ叡智―「特殊文庫」と「特殊文庫連合協議会」/村木敬子
大東急記念文庫◆―70年の歩みとこれから

上目黒時代の書庫
大東急記念文庫の設立は、東京急行電鉄の創始者、五島慶太の古典籍渉猟を諸端とする。五島は以下のように述べている。
「私が古典籍に興味をもつのは祖先の教訓や経験を取り入れて、現代やっている事業の上に生かす指針となって呉れるからである。字や絵を観て美を感じ、性格を知り、時代を把握し、これが自己反省の糧となり、また心の憩い場ともなり、将来への道標とし得られるからである」(「本誌の発刊に際して」〈『かがみ』創刊号、昭和34年3月〉)
臨終の間際には重要文化財『過去現在絵因果経 巻第四』を枕辺に置いていたという。日本経済史を繙く上で欠くことのできない大事業家であるとともに、文庫設立という文化的偉業は、研究の場にとどまるものではない。
蒐集にあたっては、和田維四郎、川瀬一馬など学者の助言を得て、和漢の典籍、仏典、古筆手鑑、古文書、絵画資料と幅広い分野を包括する。
戦後の混乱期に、名家の蔵書群は、海外流出の危機にあった。その散逸を防いだ功績は計り知れない。大東急記念文庫には、蒐集にかける情熱の結晶である資料の山を守り続け、次代に伝えてゆく義務がある。
大東急記念文庫ホームページ (五島美術館のウェブサイトにジャンプします)
東洋文庫◆―現代に生きる「アジア文庫」

東洋文庫外観
財団法人東洋文庫の設立は1924年11月、日本が東アジアの列強としての足場を築きつつあり、欧米アジア学の知識を吸収し議論をこう移築することが、国策上の急務であった時代である。
ここに「東洋学」という学問分野とその資料拠点の形成が切望され、東洋学資料センターとしての役割が期待されていた。
現在、東洋文庫の蔵書は百万冊をこえ、漢籍40%、洋書30%、和書20%、アジア諸言語10%からなる。なかでも岩崎久彌集の和漢書、モリソン旧蔵の欧文図書が知られるが、アジア諸地域の現地言語資料も「研究図書館」としての東洋文庫を象徴するコレクションである。
2011年9月にゆとりのある書庫、ミュージアムや大講堂室も付設した最新設備を誇る新館が落成した。ミュージアムの新設により、専門家にしか利用されてこなかった良書を広く一般に開放することができるようになった。青少年に面白い本、歴史の深味がある本をどんどん見てもらって、未知の世界に案内する、そこから東洋学に進む人が出てくることを願っている。
「過去の“ 知”を土台にしながらもアジアに関する知識を新たに生み出すために存在し続けること、それが、“現代に生きる文庫”の営みである」――現文庫長の斯波義信氏は語る。
斯道文庫◆―研究所と文庫の両立をめざして

斯道文庫書庫のらせん階段
「書誌学――書物および書物に関する諸事情について、科学的・実証的に調査・研究する学問である」(「はじめに――書誌学とは」『図説書誌学―古典籍をまなぶ』勉誠出版)
日本の書誌学研究を牽引し、今に至る斯道文庫。正式には「慶應義塾大学付属研究所斯道文庫」とし、その名称からも研究所であることが伺える。慶應義塾三田キャンパスの東端に壮麗な姿(1969年、国重要文化財に指定)で屹立する。
戦後の斯道文庫を主導した阿部隆一は、自身の山鹿素行研究に際し著作テキストの生成過程を知ること、さらに遡って著作の背後にある漢籍の受容について明らかにしなければならないと痛感する。
特に後者においては、中国・朝鮮から長い歴史の中で継続的に流入し、書写・出版・訓読・注釈・改編など様々な変容を遂げたテキストの姿を知ることが必要となる。そして、この視点は、時代・分野・作品を問わず基礎研究として欠かせない――
この精神が斯道文庫の研究姿勢として息づいている。
金沢文庫◆―今に息づく日本中世「知」のアーカイブズ

金沢文庫入り口
北条実時(1224〜76)が武蔵国久良岐郡六浦荘金沢(現・神奈川県横浜市金沢区)の別邸のかたわらに設けたという金沢文庫は、その旧蔵本が諸方に現存していることから、日本の蔵書史のなかで注目されてきた。金沢の地は執権北条氏の一流である金沢北条氏の拠点として栄え、その文庫には菩提寺である称名寺が隣接していた。金沢文庫の蔵書群は、政治・文化・歴史など多岐にわたる漢籍・和書などからなり、その収集は実時の子にあたる顕時(1248〜1301)、貞顕(1278〜1333)、貞将(?〜1333)の3代にわたって継承されていった。これらには「金沢文庫」という蔵書印が捺されていたため、後に「金沢文庫本」と呼ばれ、中世の「知」の精華として珍重されていく。
金沢文庫本と呼ばれる書物群は、金沢北条氏により形作られた中世の豊穣な「知」の体系であり、個別の内容を超えて大きな意味をもつ。長い歴史のなかでその意味と価値が付与されていき、その体系の復元が試みられるまでになった。遥かなる中世へ思いを馳せた人びとの書物をめぐる営為を知るとき、書物原本を眼前にしたときの感興は、700年の時を超えて書物に触れた人びとのなかで脈々と息づいているのではないだろうか。
静嘉堂文庫◆―森の中で〝見ぬ世の友〞と出会う

静嘉堂文庫外観
東急線「二子玉川」駅から徒歩約20分。武蔵野の面影を彷彿とさせる丘の緩やかなカーブを描く上り道をたどると、森に囲まれた広場の正面にアーチ型の玄関を持つレンガタイル貼りの洋館が見えてくる。これが大正13年(1924)竣工の静嘉堂文庫である。
公益財団法人静嘉堂は、文庫(図書館)及び美術館を運営し、国宝7件、重要文化財84件を含む訳20万冊の古典籍(漢籍12万冊、和書8万冊)と6500件の東洋古美術品を収蔵している。漢籍は清朝以前に、和書は江戸時代以前に書写あるいは刊行されたものが大半を占めている。
これらのコレクション蒐集は、三菱第二代社長岩崎彌之助(岩崎彌太郎の弟)によって開始され、嗣子小彌太(三菱第四代社長)により拡充された。それは彌之助の師への援助の志や尚古の気質から行われたことは言うまでもないが、明治前期の急速に西洋化が進む世相の中で、東洋固有の文化財が軽視されていくことを憂え、その散亡流出を防ごうという強い使命感によるものであった。
「蒐集は人なり」、「本は人なり」と言われる。本を著した人・蒐集した人の「人生」、それらを包み込んで紆余曲折を経つつ積み重ねられてきた「時間」の重層的な複雑さ、重みが、特殊文庫なるものを支えているのかもしれない。
「古典籍」のなかに息づいているのはいつの世も変わることのない生きた人間の紡いだ喜怒哀楽、そしていきいきとした思考である。現在、閲覧にみえる方々は、閲覧室で直に縁ある故人に対面し、語る声に耳を傾けて〝会話〟を楽しまれている。まさに、かけがえのない〝見ぬ世の友〟との出会いの場として使っていただくのが、「(特殊)文庫」の存在価値であり使命だと思っている。
連動企画◆特殊文庫の古典籍―知の宝庫をめぐり珠玉の名品と出会う

【五文庫連携展示会期】
《五島美術館》大東急記念文庫創立70周年記念特別展示
2019年4月6日(土)~10月20日(日)
《神奈川県立金沢文庫》特別展 東京大学東洋文化研究所×金沢文庫 東洋学への誘い
2019年7月20日(土)~9月16日(月・祝)
《東洋文庫ミュージアム》漢字展―4000年の旅
2019年5月29日(水)~9月23日(月・祝)
《慶應義塾大学三田キャンパス(斯道文庫)》センチュリー文化財団寄託品展覧会
2019年6月3日(月)~28日(金)
《静嘉堂文庫美術館》書物にみる海外交流の歴史~本が開いた異国の扉~
2019年6月22日(土)~8月4日(日)
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