
刊行に寄せて◎監修者コメント
人間の精神的・知的活動の表現としての文化にかかわる現象は、その複雑さ、曖昧さ故にデータ化するのが難しく、これまでは感性的・主観的・哲学的な観点からの研究が中心であった。そのため文化現象がデジタル化され、データサイエンスの手法を用いて客観的な観点から議論されることは少なかった。しかし、今日、文化の領域においても、膨大な量のデジタル情報が生み出され、それらの情報の保存・共有・展示・視覚化の技術も進歩した。さらに、デジタル情報の高速検索や多種多様な情報を活用する新たな方法も開発された。「情報のデジタル化」という大きなうねりの中で、文化の研究領域でも、データサイエンスの手法を積極的に利用する研究の必要性・重要性が認識されるようになってきた。
「文化情報学」は、文系と理系の両方の学問に基盤を置く文理融合の総合型の研究領域である。学問の細分化とともに、個々の領域で独立に進められてきた紡ぎ方の異なる様々な文化研究という縦の糸を、デジタル情報の利用・活用技術という理系の横の糸で編むことで、文化にかかわる研究をより豊かな実りあるものにすることが「文化情報学」の目指すところである。そのために本事典では、この新しい研究領域で、どのような縦の糸がどのような横の糸とどのように編まれつつあるか、多くの実例で紹介する。
事典をもっと知っていただくために
ここでは事典の内容を少しのぞいていただくために本事典を構成する「A 領域篇」、「B データ分析篇」、「C 分析用ソフト」の3篇の内容をかいつまんでご紹介。
「A 領域篇」の紹介
★A1 文章・文献★
文献の真贋や代筆問題、書き手の文体の変化、ジャンル別文体の特徴などを数量的な観点から解明する方法について、具体例を挙げて解説する。
★A2 言語★
言語研究においては、文章や発話を大規模に収集・電子化して単語情報などを付与したコーパスの重要性が増し、必要不可欠なものとなりつつある。本領域では、日本語コーパスを中心として、様々な言語研究について、最新の情報を盛り込んで解説している。

コーパスの検索画面と原典画像
コーパスとは、文章や発話を大規模に収集・電子化して単語情報などを付与したものである。図は『日本語歴史コーパス』に収録された天草版『平家物語』(16世紀末)の検索結果画面(左)と、大英博物館所蔵の原文画像(右)。このコーパスではローマ字の原文と漢字仮名混じり文を対応させ、形態素解析によって全文に単語情報が付与されている(下)。
★A3 考古・歴史★
地理情報システム(GIS)、3次元計測などデジタル技術を用いることによって、歴史学・考古学の分野でどういったことが明らかになったのか。遺跡調査や、水中探査など広い範囲でのデジタル技術の応用方法を用いて紹介する。
★A4 人文地理★
デジタル技術の発達は、「距離」だけでなく「空間」の定義をも変えてしまう。人文地理学の発展の歴史の中で、地理情報システム(GIS)の活用による新たな研究の展開の様子を紹介する。

時間を重ねて京都を地図で描く
上:江戸初期の京都(林吉永『新撰増補 京大絵図』大英図書館蔵)
下:現在の京都(「バーチャル京都」(3次元都市モデル)立命館大学)
★A5 文化・芸術★
文化・芸術の分野では、表現者によって「創作された作品」つまりフィクションを対象とするが、作品はアナログの割合が高く、評価の基準は感性である.このようなアナログで感性的な情報をどのようにデジタル化して分析するかを紹介する。

工芸品デジタルアーカイブの事例
根付をオンラインデータベース上で表示したもの。3Dモデリングや多焦点撮影による精細撮影などを駆使して、できる限り質感を伝える工夫がされている。図の根付はいずれも「鬼」をかたどったものである。
★A6 身体文化・行動計量★
演劇やダンス(踊り、舞踊)、演奏など、本来であれば一過性のものであった身体文化は、テクノロジーの発達によって、記録を残し、また計測することが可能となった。データサイエンスによる身体文化の研究の可能性を、実例とともにまとめる。

日本舞踊のモーションキャプチャー
(撮影協力 日本舞踊家 花柳乃三氏)
テクノロジーの発展によって、時間と共に消えゆく無形文化財を計測・保存・共有することが可能となった。
★A7 コンピューター・情報★
文化情報学という学問分野は、コンピューターとは切っても切れない関係にある。いわゆるビッグデータや、ソーシャルネットワークといった、データの集合体の定義を解説するとともに、データを扱う上での倫理的な側面(=情報倫理)についても言及している。
「B データ分析篇」の紹介
★B1 データ分析の基礎★
コンピューターの発展により、理系の研究手法が文化の様々な領域に波及し誕生したのが「文化情報学」である。ここではデータの分類、視覚化、要約、推論等とそのための様々な手法などを基本的な事項についてわかりやすく解説する。
★B2 量的分析法★
研究対象の特徴が長さ、重さ、個数などの「数量」で計ることができる場合は多い。このような量的な情報を対象としたデータの分析について解説する。

浮世絵美人画の分析
9人の浮世絵師の描いた女性の顔を分析し、形の似た顔が近くになるように配置したグラフ。このグラフでは、活躍期の遅い絵師ほど右側に位置する結果となった。グラフの横軸は顔の長さに関係した変数であり、右へ行くほど顔は面長になることから、江戸時代の庶民の好む女性の顔は、丸顔から面長な顔に変わっていったことが分かる。
★B3 質的分析法★
文化は、その特徴が数量ではなく「言葉で」つまり「質的に」表されることが多いが,このような質的な情報をどのように分析すれば現象解明に必要な情報を得られるかを解説する。

「C 分析用ソフト」の紹介
★C 分析ソフト★
データを分析するには、コンピューターが不可欠である。現在広く用いられているExcelなど身近なソフトウェアから、オープンソースの統計分析用ソフトであるRやテキスト分析用の様々なソフトとその使い方の基本を解説する。
