神仏習合時代の鎌倉の鶴岡八幡宮は、別当(社家)・供僧(院家)・小別当・神主・社人によって構成される寺院であった。なかでも、社僧・伶人・巫女・神官・大工棟梁などそれぞれの専門職能(家職)をもって奉仕した社人たちは、八幡宮の聖と俗の境界領域をまたぐ場で公私に及び活動し、長く一つの独自の世界を作り出して来た。彼らの豊かな歴史と伝統は、鎌倉期だけでなく江戸期に至るまで存在した。
各地・各分野に残された断片的史料から、社人たちの公私にわたる歴史的役割を具体的に明らかにし、彼らを鶴岡八幡宮のみならず都市鎌倉を下から支えた存在として改めて注目することで新たな鎌倉史像を打ち立てる。