加賀藩主前田家が所蔵する国宝『水左記』ほか関連する収蔵品についてカラー図版を掲載。詳しい説明を付し、記主の経歴とその時代背景、日記の内容、前田家が中院家より『水左記』を入手した経緯などにもついても解説。蔵品の図録としてだけではなく、歴史資料としても活用できる一冊。
*国宝『水左記』とは…
平安時代の代表的な日記で、記主は土御門左大臣源俊房(1035~1121)。
日記の名称は、「源」の偏「水」と「左大臣」(極官)の「左」を合成したもの。
別名に『土左記』『土記』(家名の「土御門」から)、『堀河左府記』(住所の「堀河」から)がある。
俊房が日記を書いていた期間は明確にはわからないが、残存する日記から推定すると、少なくとも康平5年(1062)正月(28歳)から天仁元年 (1108)8月(74歳)まで記事が残り、47年に及ぶ。継続して書かれたかは未詳であるが、大部な日記であった可能性が大きい。
現在残る記事は、日次記として、康平5年正月から応徳3年(1086)12月までの22年間は確認できるが、それ以降は、21年後の嘉承2年(1107)正月まで記事が見えず、以降も「朝覲行幸部類記(ちょうきんぎょうこうぶるいき)」、「改元部類記(かいげんぶるいき)」に引用される逸文が知られるだけである。
記録の少ない後冷泉・後三条・白河の三代天皇の宮廷社会を簡潔に記述しており、また、名筆で著名な源俊房の筆跡を伝える貴重な史料である。