領国比較により描き出される2大大名の歴史的特質
中世日本において、政治・経済・文化のあらゆる面で大きな存在感を有した九州や中国地方の地域権力。そこには、地理的条件を活かしながら、共に栄え、衰退していった2つの大名権力があった。
周防山口を本拠に西中国地方そして北部九州にも進出、全盛期には7カ国守護を兼ね、朝鮮・明との貿易や学問の奨励に努めた大内氏。
そして、豊後府内に本拠を置き6カ国守護を兼任するまでにいたり、キリスト教の保護や、カンボジア・ポルトガルとの貿易を推進した大友氏である。
比較的似通った環境・条件のなかで、12世紀から16世紀の激動の時代を生き抜き、滅びていったこの2つの地域政権、そしてその領国は、日本史の史的展開の文脈やアジア社会の空間的広がりのなかでいかなる位置づけと意義を有するのか。
文献史学・考古学・分析化学・対外交流史等の観点から大内氏・大友氏を多面的に比較することにより、その歴史的特質を明らかにする。