片やフランクリンはすべての〈ヤンキーの父〉、片や福沢諭吉は明治日本のintellectual father、独立に向かう米国と、開国に向かう日本をこの二人の偉人の自伝ほど見事に語った文学はない。
日米の対比評伝は比較精神史上の最高の好取組である。
比較研究の第一人者平川祐弘は、片やフランクリン、片や福沢を同じ土俵にあげて、丁々発止(ちようちようはつし)の勝負をとらせた。けだし好取組だ。東西の自伝の両横綱は互角に組んでひけをとらない。行司が平川なればこそ両偉人ががっぷり組んだ見物(みもの)になるので、物怖じせぬ平川は各国で登場し、英語でもこの対比列伝を語って聴衆の頤(おとがい)を解いた。
この研究は世にも楽しい物語だ。酒の上の失敗の語りでは福沢に軍配だが、年増(としま)の下半身の語りではフランクリンが上手(うわて)だ。玉に瑕(きず)とは『福翁自伝』に女の失敗談がないことではあるまいか。