東條は、憲兵を駆使し人事権を弄し、自分に反対する者を戦死必至の激戦場へ送るなど多くの反対を押し切って支那事変と太平洋戦争を推進し、日本は無条件降伏に至った。
東條の軍事思想は、「支那を一撃し、ドイツと連携して、ソ連・米・英等と戦う集団国防主義を推進する。支那事変の根本的解決のため、支那を支援する米英との戦争を決意すべし」との強硬論である。
東條は九段軍人会館で持論を豪語して新聞に「東條次官、断固たる決意で二正面作戦を準備」と喧伝され、日支和平努力をぶち壊し、この後、支那・英米との無謀な二正面作戦に突入した。