攘夷とは何か
幕末維新史において、その行動範囲の広さと構想の雄大さゆえに異彩を放つ志士、清河八郎。安積五郎との繋がりや、天狗党との関わり、全国各地への周遊と各地での交友、寺田屋騒動と新撰組の前身たる浪士組の結成など、明治維新の火付け役ともいえる人物である。彼が残した漢文と漢詩によって、その全体像から維新史を追う。
*清河八郎(きよかわ・はちろう)とは…
天保元年10月10日(1830年11月24日)~文久三年4月13日(1863年5月30日)。
江戸時代末期(幕末)の庄内藩出身の志士。幼名は元司、諱は正明、号は旦起、木鶏。本名は齋藤正明で、清川八郎と改名したのち、清河八郎を名乗った。
安積五郎とともに東北や九州を遊説して尊王攘夷派の志士を京都に呼び寄せ浪士組を結成、新徴組・新選組への流れを作り、虎尾の会を率いて明治維新の火付け役となった人物。