平川氏は自身も文章家として第一級の人だが、氏が論じる鷗外は「二本足」の人だった。鷗外は自分自身の文化の中にすこやかに根ざしていたから、西洋に憧れて卑屈になることもなく、また西洋の重要性やその価値をむげに斥けることもなかった。その応答は人間として品位を保ち、独立を守り、首尾一貫する型である。(マリウス・ジャンセン『自由』)
畏友平川祐弘氏は、まことに《和魂洋才》の人である。六年の永きにわたって欧州の地に学びながら、単なる《西洋かぶれ》になることをいさぎよしとせず、ひるがえって《日本とは何か》という自問に深く思いをひそめた。本書は東大教養学科の逸材として夙に名の高い平川氏が、その該博な学殖を傾注して、あのなつかしい《和魂洋才》の時代、すなわち明治という豊富な過渡期を縦横に論考した名著である。(江藤淳、1971年)
これは明治日本の知識人が西学東漸の強力な衝撃波に応答して立ち上がり、異質の文明との対比によって自己の本然の姿を認識し、その認識から個人としての、また民族としての生き方を将来に向かって問いかけ方向づけようとした、その努力の歴史を跡づけた研究である。(小堀桂一郎『東京新聞』)