人々を魅了した新たなメディア
十六世紀末、従来出版活動を行っていた寺院はもとより、天皇や将軍そして新興の豪商などをも魅了した、日本書物史における新たなメディアが誕生した。―古活字版である。
これらは、どのような環境において、いかなる人的ネットワークのもとで刊行され、どのように享受されたのか。
古典の代表作として広く享受され、多数の現存伝本を持つ下村本『平家物語』、史上稀なる豪華活字版本として製作された「嵯峨本」、そして、古活字版製作をめぐる場と人びとに着目し、長年にわたる古活字版の悉皆調査を行ってきた知見をもとに日本出版史における古活字版の時代を炙り出す。
嵯峨本諸本、『平家物語』下村本諸本の現存伝本目録を収載。
図版点数約200点!
★推薦文
◎佐々木孝浩(慶應義塾大学附属研究所斯道文庫文庫長)
日本史上において、商業出版の確立は重要な意義を有している。出版の存在は、江戸時代の豊穣な文化を生み育てる土壌となり、明治維新後の急激な近代化を下支えしたのである。その確立に大きな役割を果たしたのが、「古活字版」と呼ばれる、近世極初期の半世紀程の間に製作された、活字印刷本群である。仏教書中心の中世期の印刷から転じて、実用書や娯楽書に至るまでの多彩な作品が、漢字に加え片仮名や平仮名の活字をも用いて、次々に刊行され、日本人に出版の威力と可能性を知らしめたのである。グーテンベルクが活版印刷を開始した1455年以降、15世紀中にヨーロッパで刊行された金属活字本は、インキュナブラ(揺籃期本)と呼ばれて高く評価され、その研究も活発に行われている。古活字版はまさに日本のインキュナブラなのであるが、美術的・骨董的な評価に比して、研究面の蓄積はとても比肩できそうもない。それは古活字版研究の最高峰たる川瀬一馬『増補古活字版の研究』(1967)が、あまりにも高く聳えているからでもあろう。川瀬を追随してひたすら古活字版の悉皆調査を続け、川瀬に勝る秀麗な霊峰を築き上げつつあるのが、畏友高木浩明氏である。本書は、『古活字版悉皆調査目録』制作の過程で得られた発見を元に執筆された、粒揃いの論考をまとめたものである。ここには従来の認識を覆す新知見が鏤められており、古活字版研究はもとより、日本の文学史や出版史・文化史をも裨益する内容に満ちている。今後の古活字版研究の道標となる本書の刊行を心から慶びたい。
◎林進(元・大和文華館学芸員、現・大手前大学非常勤講師、文学博士)
著者の高木浩明さんに、はじめてお会いしたのは、平成十四年(二〇〇二年)十月、当時、学芸員として企画し、実施しに当たった大和文華館(奈良市)の特別展「角倉素庵」(十月五日~十一月十日)の展示会場であった。そこには、能書家素庵と絵師宗達の合作作品や、素庵の書誌学的業績を示す写本や古活字版が、さながら古典籍入札会場のように展示されていた。高木さんは当時住んでおられた千葉県市川市の自宅からわざわざ展観を見に来られたのだ。
以前に、お手紙と初期の研究論文「下村本『平家物語』と制作環境をめぐって」(平成九年三月)、「下村本『平家物語』書誌解題稿」(平成九年十月)など抜刷四冊を頂戴していた。じつに論理的な論証で、説得力があり、学問に対する情熱があふれていた。わたしは、特別展図録の下村本『平家物語』(大東急記念文庫蔵)の解説文のなかで「活字は優雅で、その版下は素庵の筆になるものと思われる。本書が《嵯峨本》世界の中で制作されたと見る高木浩明氏の説が提示されている」と書いた。高木さんの書誌学は、「本」というものを通して、それを制作したひと、享受したひと、学問の在り方を探究しているところに特色がある。
面会の後、美術館の売店から、カウンターにノートを忘れた人がいるという連絡があった。それは分厚い「書誌調査ノート」一冊で、丁寧な字で嵯峨本『伊勢物語』の書誌などが克明に記録されてあった。「高木さんのノートだ。興奮して大切なノートを忘れたのか、そそっかしいひとだ」。閉館時間の前に、高木さんから連絡があり、早速、ノートを市川市のご自宅に送る手配をした。
来館の二年後、高木さんは結婚され、美しい奥さんを連れて、美術館近くの奈良市登美ケ丘のマンションに引っ越してこられた。挨拶に来られて、いわく、「結納のお返しに下村本『平家物語』零本を買ってもらった」と。これからの奥さんのご苦労を思い遣った。