山本は戦争回避を望みながらも、日本征服を狙ったオレンジ計画を奉じるアメリカと戦い敗れた
二度のアメリカ駐在を通じて航空主兵を力説した山本は米英との戦争回避を望み、日独伊三国同盟に反対して海軍左派トリオと呼ばれた。日米開戦となるや、長期戦を目論むアメリカのオレンジ計画に対抗して真珠湾攻撃とマレー沖海戦を成功させたが、ミッドウェー海戦は大敗となりラバウル航空戦にも戦果なく、機上戦死した。
山本の絶望は、「海軍が勝てば指導部は戦線を拡げ、敗ければ挽回を期して戦争を続け、勝っても負けても戦争は終結しない」という点にあった。(本文より)