『源氏物語』は、書かれた言葉によってこの世に存在している。その言葉は、物語中の随所で、複雑にしてゆたかな意味を生成しているが、同時にそれは、単なる書き言葉ではなく、作中人物の発言あるいは心中の言葉、さらに物語を口頭で伝える人、それを書き取る人、書かれた言葉を書き写す人、編纂する人、……等々のさまざまな声が重なりあっている言葉として、異彩を放っているようにおもわれる。
本書では、それらのさまざまな声を「話声」と呼ぶ。そして、右に述べたような『源氏物語』の言葉の魅力と特質とを解き明かしてゆくことを最大の目的とする。
まずは、『源氏物語』の言葉に対してわれわれがいかに向きあうべきなのか、という基本姿勢を確認する必要があろう。具体的には本書の序章において詳述することとなるが、端的にいえば、『源氏物語』という対象を前にして、二つの異なる視座を設定することが有効であろうと考えている。
一つは、『源氏物語』という書かれた言葉によって生成する世界を、完結したテクスト世界として受けとめた上で、その表現の諸相を丹念に分析・検討しつつ、それをふまえて物語世界をささえる論理を導き出さんとするものである。本書のⅠは、表現の諸相の分析・検討が中心となる。また、Ⅱでは、特に『源氏物語』のいわゆる第二部とその前後において、光源氏と、その周辺のさまざまな人物たちとの関係性に留意しつつ、物語世界の論理を明らかにすることをめざす。
もう一つの視座は、物語世界の内部にとどまることなく、『源氏物語』という〈書かれたもの〉としてのありようを根源的に考えようというものである。すなわち、積極的に物語本体の外へと視界を拡げ、内と外との照応関係に注目してゆくのである。本書のⅢにおいては、『源氏物語』を創作した物語作家、またその物語作家が記した『紫式部日記』、さらには『源氏物語』を書写した人々のことなどが考察の対象として加わる。
本書は、おおよそ右のような内容をもつ。これを換言するならば、『源氏物語』の物語世界の読解を目的とする章を含みもちながらも、全体としては、『源氏物語』という物語の言葉、その存在様式をめぐる考察を志向するということである。
(はしがきより)