彼の輩を追討し、怨敵を退け、天皇の御心を安んじ申し上げよ―
後白河院の命を受け、遂に蜂起した頼朝。富士川の合戦後、奥州からはるばる参陣し、兄と涙の対面を果たした九郎義経。頼朝挙兵から南都焼討ちまでを描く第四巻。
伊豆の国に流罪となった頼朝は密かに出奔、北条時政を頼り、政子に出会う。
同じく伊豆の国に流された荒行者文覚は、頼朝に出会い「一刻も早く国の主とおなり下さい」と決起を促した。
院宣を受けて蜂起した頼朝は、手始めに八牧の城を落とし、各地に使者を出して軍勢を集めようとするが、石橋山での第一戦で敗れ、房総へ落ち延びて陣容の立て直しを図る。
頼朝存命の知らせを聞いた清盛は、高倉院を脅迫して頼朝追討の官符を出させ、三人の息子を大将軍とする追討使を下向させるも、富士川の戦いで水鳥の激しい羽ばたきに驚いた平家軍は、一矢も放つことなく逃げ帰ってしまう。
その後、評判の悪さ故に福原から「都返り」を始めた清盛だが、南都の衆徒らが公然と敵対し始め、焼討ちを命じた。
東大寺・興福寺から火の手が上がる―