扇をば海のみくづとなすの殿 弓の上手は与一とぞきく―
義経率いる精鋭軍に敗れた平家一門は、四国の屋島に逃れる。追う義経は、強風の中を僅か百騎余りで四国に渡り、平家軍の不意をついた。扇の的を射た那須与一の活躍が名高い、屋島の合戦までを描く第七巻。
一ノ谷の合戦で、九郎義経は峻険な崖を駆け下り、平家の陣営に奇襲をかけた。
熊谷直実は平敦(あつ)盛(もり)を討ち、その御首(みしるし)と冴枝(さえだ)の笛を前に悲嘆に暮れ、岡部忠澄に討たれた薩摩守忠度(ただのり)は、懐中に「旅(りよ)宿(しゆく)の花」と題する和歌を残した。
屋島では冴える八月十五日の名月を眺め、華やかな都の月を偲んで涙する平家人。
一方、荒天を突き四国へ渡った義経主従は、苦闘の末に阿波の海岸に到着し、屋島の城下に火を放つ。幼い安徳天皇はじめ平家の人々は海上の御座船に逃れた。
そこに日輪を描いた扇を立てた、一隻の小舟が漕ぎ出してくる。
舳先には玉虫前(たまむしのまえ)という美しい女官が立ち、この扇を射抜いて見よと手招きする。
双方の武者たちが見守るなか、那須与一は扇の要を一寸ほど残して見事に射切る。
紅の扇はくるくると空中に舞い上がって、閃めきながら海上に落下していった・・・