盛者必衰の理、眼の前にあらわなり―
西海に漂っていた平家一門は、関門海峡壇ノ浦において、義経との最後の決戦に臨んだ。安徳天皇をはじめ、平家一門の入水が哀れを誘う源平合戦の終末と、頼朝との対立から自害にまで追い込まれていく義経の姿を描いた、『源平盛衰記』堂々の最終巻。
義経に追われ、西海に漂っていた平家一門は、元暦二年三月、関門海峡の壇ノ浦において、源氏軍と最後の決戦に臨み、敗れてしまった。
安徳天皇をはじめとして、一門の人々は次々に入水したが、天皇の母建礼門院は海中から助け出され、都へ戻された。
やがて女院は出家し、大原の寂光院に移る。
平家の嫡流六代御前は、鎌倉方に捕らえられ、処刑されそうになるが、文覚上人の助命嘆願により許された。
文治二年四月、大原の建礼門院のもとに舅に当たる後白河法皇が訪れ、二人は再会する。女院は法皇に、六道輪廻のようであった自分の人生を語った―