極めて複雑な国際情勢のなか、ふたりの探検家が作りだした歴史の「秘境」に迫る
「英露協商(1907)」のチベットに関わる取り決めは、当時すでにチベットにあって活動していたヘディンを苦しめるものであった。苦闘するヘディンを直接支援したのは、西洋の探検家たちではなく、東洋の探検家・光瑞であった。だからこそ彼の招聘を受けたヘディンは、京都西本願寺の奥深い書院にあって、必ずや楼蘭に到達できる方法とその正確な位置を教えた…。
20世紀初頭の内陸アジアに、それぞれ探検活動を展開した光瑞とヘディン。ふたりの接近を、当時の国際政治社会の中で解析する。