巨人の拓いた沃野から
その学の領域はとてつもなく広い。芸能、文学、歌、天皇、神話、言語…。
全体を掴むのは容易ではない。巨人は、後世に何を残したのか。
愛弟子・池田彌三郎から薫陶を受けた著者が、巨人の学問の全領域を整理し直し、さらに新たな展望を開く。「まれびと」「ほかひびと」の先に見えたのは、韓国・台湾そしてアジアに拡がる広大な「民俗」のつながりだった。
アジアを見渡す視野から、新たに折口学の場所を見つめる。
折口信夫(おりくち・しのぶ)
1887年大阪に生まれる。国文学者・民俗学者・歌人・小説家。筆名は釈迢空。
1910年國學院大學を卒業。1922年に國學院大學教授となり、1928年以降は慶應義塾大学教授を兼ね、国文学・民俗学・芸能史・神道学を論じた。
1915年に柳田國男の主催する『郷土研究』誌上に論文「髯籠の話」を掲載したのを機に、柳田を学問の師と仰ぐ。
1929年から1930年にかけて『古代研究』全3巻を刊行、「まれびと」論を中軸におく独自の学問を世に問う。その他、『アララギ』の選歌欄を担当、和歌の論考を発表するなど、活動は多岐にわたった。
1953年、66歳で死去。
歌集に『海やまのあひだ』など、小説に『身毒丸』『死者の書』などがある。『折口信夫全集』全37巻(中央公論新社)が刊行されている。