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中世寺院社会における「門跡」の実態を探る古代より藤原氏の氏寺として発展し、また法相宗寺院として南都寺院社会の中心に位置してきた興福寺。院政による摂関家の政治的権威の低下、南都焼き討ちから武家の台頭など、中世の激動期において、興福寺内部では組織存続のためにどのような動きがあったのか。寺内の頂点に立つ「門跡」のあり方、寺院社会内での位置付けを各種資料から精緻に読み解き、中世寺院社会の実態を明らかにする。