〈個人を抑圧し、環境破壊を進める近代社会〉と闘った熊楠の実像。自由民権・神社合祀・「エコロジー」をキーワードに、その生涯を追う
環境保護のため神社合祀政策と闘い、先駆的に「エコロジー」や「地域主義」を主張した背景を、膨大に遺された史料の実証と、多くの同時代人との交流から探る。
伝説的巨人の「虚像」を丹念にとりのぞき、歴史的人物としての「実像」を明らかにする。
*南方熊楠(みなかた・くまぐす)とは・・・
1867(慶応3)年和歌山城下で生まれ、本草学に熱中する。
1886(明治19)年大学予備門を退学して渡米し、自由民権運動と接触。ミシガン州立農学校も中退し、以後独学を続けた。キューバなどで植物採集をし、1892年に渡英。大英博物館で研鑽を積み、『ネイチャー』等へ寄稿。同誌での掲載数は日本人で一番。
1900年に帰国し、紀州隠花植物の悉皆調査に着手。1904年から田辺に居を構え、神社の森で新種の粘菌を発見した。明治国家の神社合祀政策で鎮守の森が伐採されると、1909年に「エコロジー」の視点から反対運動を開始する。
1941(昭和16)年に死去するまで、在野の学者として学問領域を横断する思索をめぐらし、環境問題が発生する度に警鐘を鳴らした。