西郷隆盛は朝鮮の征服者でもなく、平和の希求者でもなかった。彼の真意はどこにあったのか?
西郷隆盛が明治六年に自身の朝鮮遣使を主張して、遂には維新以来の明治政府が大分裂するに至ったことはよく知られている。しかし、西郷が主張した朝鮮遣使論の中身やその目的については不明ないしは不可解なことが多く、日本近代史上のひとつの謎ともされている。
一般には、西郷はそのとき自ら朝鮮遣使に立って征韓を期していたとされ、今日でもそれがほぼ通説になっている(征韓論)。多くの歴史家はそれを正当な説としてさまざまに立論しているが、その一方で、近年ではそれを否定して、西郷はそのとき自ら朝鮮遣使に立って平和的に交渉をして日朝両国の国交回復を図ろうとしていたと唱える歴史家も少なくない(交渉説)。どちらが正しいのであろうか。